匿名の誰かを攻撃するのは、それが利他的な行為と勘違いしているからである。

世間におけるインターネットでのコミュニケーション不全を見ていると、匿名の人が匿名の人を攻撃して匿名の人が傷ついている様子などが窺えます。逆に、匿名の人に褒められて浮かれている匿名の人もいます。

私にとって匿名の存在ではない関係のある人が、匿名の存在に追い詰められたりしているのを見て、どこか遠くにいってしまったような感覚に陥りました。逆に、知らない人にどうしてそんなに自分の感情を使えるのかと思う私が、相当に冷たい人間なのかとも考えてしまいます。

はてなブログでも、知らない人が書いた文章にネガティブコメントを書いている人がいます。ましてや間違いを指摘したりする。しかしそこに書かれた文章が間違っていたとして、何が問題なのでしょう。読む人が多いほど謝った解釈をする人が多くなるとして、何が問題なのか。それはブログだけでなく書籍でも同じです。自分と関わりのない作者が間違った内容の本を書いていて、自分が知らない人が間違った解釈をしても、それが巡り巡って社会が間違った方向に進んでも、自分と関係があることは稀です。

私はインターネット社会に古い人間だと思います。しかし明らかに、インターネットはコミュニケーション不全を推進しています。自らおかしな状況に突っ込んでいっているとさえ感じられます。

なぜこんなことになるか。実はこれ、「承認欲求」という言葉で一蹴できてしまいます。承認欲求が増幅しすぎてコミュニケーションの失敗を繰り返すタイプの人がいる。

私のこのブログも、承認欲求があるからやってるんだろと聞かれれば、「あ、そうかも」と言えます。

しかし本当に承認欲求だけで、知らない人に嫌な思いをさせようとするでしょうか。

私は違うと思います。きっと利他的になろうとしているのだと思います。利他的な自分を見て!という承認欲求ともいえるかもしれません。

たとえ相手が知らない人だとしても、その人を攻撃すると、それを見ている人が喜ぶと思っているからです。その一人が傷つくことより、それを見て心が晴れる多くの人のほうが大事だと思っていて、そんな人達の承認を得たいからでしょう。

インターネットはこんなことが簡単にできてしまう場所だと気づいたときには愕然としたと同時に、私は匿名である私をどう生きればいいのかを考え始め、今もブログを書きながら考えていることの1つとなっています。