早く年を取りたいと思うこと。
私は今、未来に向けて何かをしたいという思いが薄く、早く年をとりたいと思っているように思います。
回りくどい言い方をしていますが、ブログの一連の流れから、自分のことがそう見えるということです。
死にたいけど、今死ぬ勇気はない。歳を取れば、死に近くなるから、自ずと死ぬだろう、と。
暗い話しではありますが、本当にこう思えるなら、今の私はなんでも挑戦できるはずなんですよね、
それをしないということは、ただ何もしないで生きていたいという我が侭と、それでは生活ができないという現実の違いに思考停止して、死という概念で忘れようとしているだけです。
今のこの瞬間は未来がなくても良いと思う自分がいて、早く年を取りたいと思っていますが、これからの私には未来に残したいものができていて、ずっと年を取りたくないと思うかもしれない。
それが分からないから今を生きなければいけないのですが、難しいときもあります。
毎日やらないと忘れてしまう
なぜ私はなんでも毎日のようにやってしまうのか。それは毎日やっていないと忘れてしまうからです。
年を取ると時間が経つのが早くなると言いますが、その理由を単純にいうと、生きることに慣れてくるということです。慣れてくるとどうなるかというと、覚えられなくなります。
毎週やっているアニメなど、私は週に1度しか見ないと内容を忘れてしまう、もしくは見ていたことすら忘れてしまうので、1クールが終わった後にまとめてみる癖がついています。
ゲームも1週間やっていないと、また最初からやらないと思い出せない、なんて思ってしまいます。
時間の流れが早くなる=忘れるのが早い、ということだと思います。
この毎日書いているブログも毎日書かないと、1週間に1回とか、不定期にしたとすると、恐らく忘れてしまうことでしょう。
大人になってから美味しく感じるものがある!
子供の頃から嫌いな食べ物は色々あると思いますが、大人になってから食べてみると美味しいと思える食べ物、料理がけっこうあります。
たとえば、グラタンが大っ嫌いだったのですが、母の作るグラタンが美味しくないだけでした(笑)
オムライスやパスタなんかも、母が作るからいまいちだったものが結構あります。
フォローじゃないですが、美味しかったのもありますし、母は自分が好きな味付けをしていただけなのです。
甘いものでいうとキャラメル。20代になってもキャラメル的な食べ物へに対する違和感が拭えなかったのですが、ある日スタバのキャラメルラテの美味しさを知りました。
実はそれまでキャラメルの味を知らなかっただけなのです(笑)
そして最近知ったのがチーズ。不味いチーズしか知らなかっただけなのだと思います。
チーズは、糖質がほとんどない食べ物の筆頭なのですが、これまでチーズのお世話になったことがありませんでした。チーズが美味しいことを知って、少し甘みがある食べ物が増えて嬉しいです。
思いつくもので大人になっても接していないのは、トマトジュースが思い浮かびます。いつかチャレンジする日がくるのだろうか。死ぬほど不味い記憶しかない(笑)
みなさんも、子供の頃にあまり好きじゃなかった食べ物にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?意外と美味しかったものが見つかるかもしれませんよ!
人生を掴み取る!私が今、素直に生きるためにできることは書くこと。
「汝が行なうことすべての真実を示すのが神」(コーラン)であるなら、神とは自分にしかなれない存在です。
つまり自分の中の真実である神に抗ったら破滅するという考えも納得できます。
自分の中の真実に抗わず、それを求めるということは、素直さに他なりません。
素直に生きることは、すでに癖になっている人以外には難しいもので、かくいう私も後天的に気づいてしまったタイプなので、なかなか上手くいきません。
私や私のように、後から真実に気づいてしまった人は、その真実が重くのしかかり、気づかなければ良かったと思うこともあるでしょう。
具体的な例としては、id:monchy-monchy77 さんの記事が素晴らしいので、紹介させていただきます。
input-and-output.hatenablog.com
私も気づいていたことが多いですが、行動することはできません。それに加え、気づいたことを言葉にすることすらしていません。
自分が行動できていないことを書いてはいけないと思っていては、もったいない。書くことも一つの行動です。
今のところの私が自分の中の真実から目を逸らさず素直に生きるためにできることは、書くことしかないことに気づきました。
ということで、というわけではないですが、ブログの名前を変えました。引き続きよろしくお願いします!
土地を買い、小屋を建てるまで
当面の人生の目標を、土地を買って自分だけの小屋を作ることにしたいと考え始めています。そのために働くのであれば、自分なりに納得できるような気がしてきたのです。
自分で作るセーフティネットとして、光熱費や維持費がかかっても、家賃がない場所を作っておく必要があるのではないかと考えています。
こういうことは始めるのが若ければ若い方がいいと思います。
体力と気力があるうちに、それらが失われたときにオロオロせずにすむような環境を用意しておくことが、生命保険に入ることなんかより大事なのではないかと思います。
僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)
- 作者: 高村友也
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