神が私に自由を与えるなら、もう放っておいてくれ
あいかわらず体調が優れない、というか熱が下がらないのですが、いつも以上に暇を持てあまし、本を読んでいました。
瞑想のつながりで仏教的なことを読むことが多いのですが、仏教は、信心からも解放されようとする考え方をしています。
記事のタイトルにしましたが、神の力が人を自由にするのならば、神の目を気にして正しいことをせざるを得ないということからも解放してくれと言いたい。
自分の心にある神の目から解放されたときに、私たちは本当の自由をつかめるのだと思います。
ノロウイルスかもしれない
10秒くらいしか歩けない体になってしまいました。
こういうとき独り身はつらいなあと思いつつ、お粥がAmazonプライムで当日中に届く恋人いらずな日々を噛みしめています。
完璧な嘘は、嘘だと知らなければ見抜けない。
日本では裁判において、物証と確証がない限り犯罪者に有利だと言われています。
野々村竜太郎被告「記憶を確認します。しばらくお待ち下さい......思い出せません」
裁判では「記憶がない」と言えば有利になるのだろうが、人間性を超越した強い意志を感じます。
2016/01/27 17:13
「記憶がない」と思いこんでいるようです。毎日のように空出張するとか、何か思い込まないと無理でしょう。
さらに思うのは、ここまで完璧に嘘をつけるということは、政治家としての言葉も、完璧に嘘をつくことができていたはずだということです。
この人を選挙で当選させた市民も反省、などという話しもありますが、そもそも市民の人たちが、完璧な嘘に対して疑いを持てなかったとしても、しかたがなかったと言えます。
たくさんの政治家を名乗る人の中にはこんな奴もいる、ということで、今回のように排除できたのなら、よしとして良いのではと思います。
マナー違反や気まずさを想像できるなら、最初からやらない。
「マナー違反」のことを考えるのは、自分の利益のためにマナー違反を犯したいけど、他人の価値観に巻き込まれたら嫌だと悩んでいるのだと思います。
たとえば、優先席が空いているからといって座るから、譲ったときに断られることを心配しなくてはいけなくなります。電車に乗ったときには疲れきっているのかもしれませんが、悩もうと思って座っているのと同じように見えます。
このまとめは、「しれっとやってる」なので、多くの人が悩まずにやっているのかもしれませんが、少なくとも、まとめに書いてあるようなことには、関わらない方だと思います。
今日、自分は微妙な色弱かもしれないことが分かりました
ヒトデさんの記事を読んで衝撃を受けました。本当に微妙は話しだと思いますが、色弱の気がありそうなことが分かりました。
私は画像がそれぞれ以下のように見えました。
左上:6
真中上:12
右上:73
左下:15と見えたり17と見えたり混乱
真中下:29
右下:まったく分からない、青いヒトデさん?(正解は、数字は書いていない、でした)
色弱の診断とは関係ないですが、私は騙し絵(トリックアート)を見ると、一瞬で両方見えてしまい混乱することが多いのです。
若い女の人が見えたりお婆ちゃんが見えたりする絵だと、脳の中でシャッターが切り替わる度に入れ替わってしまって、混乱というか、だんだん気分が悪くなります。
HappyからHappierへ : 騙し絵 トリックアート!見方や角度を変えると、違ったものが見えてくる!
ちょっと調べたら沢山ありますね。見方によって違ったものが見えてくるのですが、両方描かれていると言っても良いと思います。
たとえば真っ直ぐ線が歪んで見える絵は、絵に焦点を当てると歪みますが、焦点をずらすと真っ直ぐな線になります(よね?)これも脳の中のシャッターがバチバチ切り替わって気持ち悪くなります。