人生を掴み取る!私が今、素直に生きるためにできることは書くこと。
「汝が行なうことすべての真実を示すのが神」(コーラン)であるなら、神とは自分にしかなれない存在です。
つまり自分の中の真実である神に抗ったら破滅するという考えも納得できます。
自分の中の真実に抗わず、それを求めるということは、素直さに他なりません。
素直に生きることは、すでに癖になっている人以外には難しいもので、かくいう私も後天的に気づいてしまったタイプなので、なかなか上手くいきません。
私や私のように、後から真実に気づいてしまった人は、その真実が重くのしかかり、気づかなければ良かったと思うこともあるでしょう。
具体的な例としては、id:monchy-monchy77 さんの記事が素晴らしいので、紹介させていただきます。
input-and-output.hatenablog.com
私も気づいていたことが多いですが、行動することはできません。それに加え、気づいたことを言葉にすることすらしていません。
自分が行動できていないことを書いてはいけないと思っていては、もったいない。書くことも一つの行動です。
今のところの私が自分の中の真実から目を逸らさず素直に生きるためにできることは、書くことしかないことに気づきました。
ということで、というわけではないですが、ブログの名前を変えました。引き続きよろしくお願いします!
土地を買い、小屋を建てるまで
当面の人生の目標を、土地を買って自分だけの小屋を作ることにしたいと考え始めています。そのために働くのであれば、自分なりに納得できるような気がしてきたのです。
自分で作るセーフティネットとして、光熱費や維持費がかかっても、家賃がない場所を作っておく必要があるのではないかと考えています。
こういうことは始めるのが若ければ若い方がいいと思います。
体力と気力があるうちに、それらが失われたときにオロオロせずにすむような環境を用意しておくことが、生命保険に入ることなんかより大事なのではないかと思います。
僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)
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神が私に自由を与えるなら、もう放っておいてくれ
あいかわらず体調が優れない、というか熱が下がらないのですが、いつも以上に暇を持てあまし、本を読んでいました。
瞑想のつながりで仏教的なことを読むことが多いのですが、仏教は、信心からも解放されようとする考え方をしています。
記事のタイトルにしましたが、神の力が人を自由にするのならば、神の目を気にして正しいことをせざるを得ないということからも解放してくれと言いたい。
自分の心にある神の目から解放されたときに、私たちは本当の自由をつかめるのだと思います。
ノロウイルスかもしれない
10秒くらいしか歩けない体になってしまいました。
こういうとき独り身はつらいなあと思いつつ、お粥がAmazonプライムで当日中に届く恋人いらずな日々を噛みしめています。
完璧な嘘は、嘘だと知らなければ見抜けない。
日本では裁判において、物証と確証がない限り犯罪者に有利だと言われています。
野々村竜太郎被告「記憶を確認します。しばらくお待ち下さい......思い出せません」
裁判では「記憶がない」と言えば有利になるのだろうが、人間性を超越した強い意志を感じます。
2016/01/27 17:13
「記憶がない」と思いこんでいるようです。毎日のように空出張するとか、何か思い込まないと無理でしょう。
さらに思うのは、ここまで完璧に嘘をつけるということは、政治家としての言葉も、完璧に嘘をつくことができていたはずだということです。
この人を選挙で当選させた市民も反省、などという話しもありますが、そもそも市民の人たちが、完璧な嘘に対して疑いを持てなかったとしても、しかたがなかったと言えます。
たくさんの政治家を名乗る人の中にはこんな奴もいる、ということで、今回のように排除できたのなら、よしとして良いのではと思います。