伊藤計劃がプロローグのみ書き残し、続きを円城塔が書いた「屍者の帝国」の映画版を観ました。
死んだ人間を蘇らせて道具として使うというのは、実現したら本当に考えそうなことであることに、ある種のリアリティを感じます。
我々人間がそれぞれ個別の存在であるのは、私という存在が、魂(心)として存在しているからであって、魂が存在しなかったら、個別という概念がなくなります。
そうなったとき、コントロールされる側になるしかありません。コントロールされる側が幸せであることは絶対にあり得ないのだと、改めて感じることができました。