格差は子供の学びに始まっている。

今の日本は識字率がほぼ100%で、日常生活において言葉を使えない人がほとんどいません。世界でもこの傾向が高くなってきており、いわゆるグローバル化の原因となっているところです。

多くの人が競争に参加できるようになったことから、どんどん競争が激化していて、その結果、格差が生まれているというのは実感していることだと思います。

しかしその間に起こっていることは見過ごされがちです。それは子供時代にすでに起こっています。

子供も皆、学校や親、テレビなどを通じて、自分たちにも競争が待っていることが分かっています。

そんな子供達は、暗黙の了解として、やがてくる競争において勝ちたいと思っています。競争に勝つ一番楽な方法は、他の人を競争のスタートラインに立てせないことです。その次が一緒にスタートしてもついて来ることができないように、能力の差をつけてしまうことです。

生きる基礎となる学びの面白さや大切さを知る機会というのは、本当は学校の勉強だけしかないわけではないのですが、実際の実感としては、そうだったと思います。

だから学校の成績により、概ねその後の人生における学びへの意欲が決まってしまう。つまり自我が目覚める前の無自覚な時代に、学ぶことができない体にされてしまいます。

学校や親が、無自覚にそんなことをしているかというと、恐らく違います。学校は教育制度として自覚的に競争をさせていますし、親たちも自覚的にその競争への態度を子供に規定しています。自意識が高く学校や親に逆らう子供もいると思いますが、例外と考えても良いでしょう。

競争があるんだからしょうがないでしょう?という意見もあると思いますが、受験や試験という参加者の多い熾烈な競争にこだわるばかりで長いこと楽をしているように思います。

だからといって私に革新的なアイディアがあるかといえばないのですが、子供のころに何故できなかったのだろうと思うことが、見過ごしてきたアイディアの卵なのかもしれないと思っています。

話しが主題から逸れてきましたので、今日はこの辺で。