今から「質問」を変えよう!人は「選択」するとき「理性」より「感情」を優先します。

私たちの生活は「選択」の連続です。つまり「質問」の連続でもあります。

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次々とやってくる「質問」に対し選択をする判断基準として、いつも「理性」と「感情」のせめぎ合いがあると私は思っていました。

しかし実際には、「理性」より「感情」を優先しています。優先どころか、理性的な選択などほとんどしていないことが分かってきました。

なぜ「理性」を優先できないのかというと、「選択」のときは感情を優先しなければ、自分が納得できないからです。

「理性」で決めたことは、後ろめたさや嘘が混ざることがあり、十分に納得できません。

 

選択には、いつか結果が出ます。

結果が出るころの冷静な自分は、あの選択が正しかったか間違っていたかを評価します。

 

正しかったときは「理性」に安心して、間違っていたときは「感情」を攻めます。

不思議ですが、正しい選択したときは、理性を発揮した結果だと思っています。

選択するときは「感情」を優先するのに、選択をしたあとの冷静な自分は、理性的であったかどうかを評価します。

 

 

選択をし続ける毎日を過ごしているのに、あのときは選択を間違えていたなんて、あえて思いだして凹みたくないですよね。

選択が正しければ、選択をしていた過去など振り返ることもなく、今を過ごせるはずです。

 

私はそのために、質問方法を変えれば選択を間違えることはなくなるのではないかと考えました。

 

昨日のトイレ掃除でいえば、私はこのような質問をしたことになります。
・2週間に1回嫌々トイレを掃除する。
・毎日気持ちよくトイレ掃除をする。

私は後者を選択しました。

 

でもこれ、ずるいですよね。答えが決まったような質問の仕方です。

 

なのでバランスを取ってみます。

・普段はトイレのことを気にせず気楽に暮らし、2週間に一度、時間をかけて掃除する。
・汚れていなくても毎日気にかけ、すこしの時間をトイレ掃除にあてる。

 

なんか、どっちでも良くなりますね。

むしそ前者のほうが時間対効率が高いので、自分が忙しいと思っている人は2週間に一度でいいと思うでしょう。

 

何かを選択するとき、その前には質問(問いかけ)があるはずです。

その質問には「想定されている答え」があり、その答えに導くために「質問を作っている」と思います。

答えが曖昧なときは、さきほど私がやったようにバランスをとって、良く分からない質問を作り自分を困らせ、微妙な選択をさせるのだと思います。

どちらも、自分の「感情」を利用しています。質問をつくる時点から理性的な自分などいないのです。

 

この性質に気づいたのは、昨日自分が書いた記事です。

これからも、なるべく正しい質問をつくり正しい選択をすることで、満足のいく生活を送れるようになりたいです。

  

幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする

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