新しいことを2つ始めている

今年に入って、じわじわ新しいことを始めています。ルーチンワーク化されると、新しいことをやっているという感覚も忘れてしまいます。

その1つは、IT系のプロジェクトマネジメントの学習。2つめは神話の勉強。

この2つはまったく繋がりや共通項がありません。

プロジェクトマネジメントはこれまでやってきたことを振り返り資格を取ることがとりあえずの目標で、食べるための仕事を楽にするための活動です。

神話の学習は、自分が神話になることがとりあえずの目標、ではなく、映画を読み解き楽しむ力をつけるための活動です。

別のブログを立ち上げようとも思いますが、このブログのネタにでもしながら、考えたいと思います。

 

日記により毎日を消し込んでいく。

去年の9月から、毎日手書きの日記を書いています。

これまで日記など書いたことがなかったことから、日記を書くことによってどうなるのか想像すらできず、それでも毎日続いてきました。

感覚としては、振り返ることができる資料を残すことで、何かしら人生に満足感が表れてくるのだろうと思っていたところがあります。

日記を始めて半年くらいが経ち、日記を書くということは何だろうと改めて考えてみると、まるでその日その日を消し込んでいるようにも思えてきます。

今日という日が終わったという印をつけていく感じ。繰り返される毎日に、折り返し地点をつくる。微少な差異を残し、また同じような明日がやってくる。

目的はこれだったんだと。今日もいつもと同じような一日が終わったこと、そして明日もきっと今日のような一日になるということを知り、安心する

 

日記の魔力

日記の魔力

 

 

ために私は日記を書いているのです。

 

 

明るく前向きになれない理由

なので当然、話しを盛ることができません。ブログも低空飛行。ごくたまに調子に乗るときがあって、それでもこのブログの開始当初のような、ブログ始めたよ!というくらいのものです。

私は昔から、プロマネや営業的な立ち位置を通じて、独立しようぜという誘いなどがありましたが、そういう人に限ってめちゃくちゃ明るく前向きに働いてるので、私の方向性とは真逆なわけです。真逆とは思われないのが私の悩みでした。

つまり場面によっては、それなりに前向きになれるのです。たぶんそれは、自分が個人ではなく、組織を背負っているときです。守るべきものがあれば、自分など関係なく、やるべきことができる。

個人的なことでそれができないのは、理由がないからです。別に誰かが私を裏切ったり傷つけたりするわけじゃないのですが、理由がないと何も出来ないのです。

 

日本の実写映画が面白くない潜在的な理由

日本の映画が面白くないのには、潜在的な理由があります。それは風景が良く分からないという問題です。

日本は撮影が出来ない場所が多すぎます。例えば、渋谷は基本的に映画の撮影ができません。申請したとしても、まず許可が下りないそうです。理由は映って良いもの悪いものの区別を付けられないからです。

時折、レインボーブリッジや法務省などの撮影許可が下りたりすると、それが話題になったりします。しかし完全閉鎖をする必要があるなど、いつもの風景ではなく、安全に守られた風景を撮影することになります。

インディーズ映画でしたら、取り締まられることを覚悟でゲリラ的に撮影を行うことはできるでしょうが、メジャーな映画では不可能です。一般人を巻き込んだ時点でちょっとした事件になります。

人間生活のとある一面において、映画に映って悪いものというのがあるという世の中はどんだけ刹那的で、未来に対して都合の悪い生活をしてるんだと思ったりしてしまいます。

日本人は映画を文化的な産業、文化的な財産だと位置づけていないから、そもそも作り手以外、誰も身近な場所が映画の舞台になるということを望んでいないというのが現実でしょう。

日本の都市の景観が広告だらけというのも、風景の価値を貶めていると同時に、これが日本人の感性だというしかないのです。

かわって日本ではアニメの人気が高く、アニメの舞台になった場所に聖地巡礼などをするほどのファンができたりするのは、アニメなら撮影許可などの縛りなく風景を描くことができるからだといえます。

これは観客が見たいものを見れているということだと思いますし、アニメの方が風景の歴史が残り、文化的な価値があるのかもしれません。

 

日本映画史110年 (集英社新書)

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友達がクリエイターだったら、友達価格なんかじゃなく、むしろ助けてあげよう

クリエイターは友達に値切られるらしいということを知り、とても悲しくなりました。応援しないんだ!って(笑)

自分の自信の無さは、同じクリエイターたちの価値を下げている - 3min. <スリーミンドット>

若い方がお金がないんだから、友達だったら多めにあげてもいいくらい。

2016/02/06 10:49

これを読んで思ったことがあります。それは、友達はなぜクリエイターであることを知っているのか?ということです。

クリエイターを通じて知り合った友達なら分かります。またクリエイターになりたいということを共有していた友達なら分かります。そういう友達が、友達価格とか言ってきているのだとしたら、最初に書いたとおり、ちょっと悲しいですね。

しかし、それ以外の他人に自分がクリエイターであることをわざわざ伝えるということが私には理解できません。クリエイターであることを触れ回っていたがゆえに近づいてきた人など、友達なんかじゃないと割り切るのが良いのだと思います。